母語
目次
1.定義
2.概説
3.参考文献
1.定義
人が生後、初めて身につけた言語を表す用語。その他(習得順序以外)の基準の関与については諸説あり、詳細は概説に記述する。
2.概説
2.1. 一般用語としての「母語」
一般的に、母語は人が幼児期に自然に身につけた言語という意味で使用されている(岩波国語辞典,2009;広辞苑,2018;明鏡国語辞典,2010)。そして、岩波国語辞典(2009)、明鏡国語辞典(2010)では、前述の意味に加え、同じ系統に属す諸言語の元となる言語、祖語。という意味も記述されている。これは、「歴史的にみれば、この母語という認識は、ローマ帝国支配下において唯一の書き言葉であったラテン語と対等することによって生まれた。」(日本語大辞典(下),2014;p.1900)とされたという点が反映されている。
言語学者の田中(1981)は、ことばと人間の関係性に注目し、「生まれてはじめて出会い、それなしにしては人となることができない、またひとたびに身に着けてしまえばそれから離れることのできない、このような根源のことばは、ふつうは母から受け取るのであるから、「母のことば」、短く言って「母語」と呼ぶことにする。」(p.29)としている。ことばについての議論がしばしば母と子の関係を通り越し、国家や政治と結びつくことから始まることを指摘し、母語は「いかなる政治的環境からも切り離し、ただひたすらに、ことばの伝えてでる母と受け手である子供との関係でとらえたところに、この語の存在意義がある」(p.41)とし、国家と結びつく「国家語」との区別も示している。
2.3. 専門用語として用いられる「母語」
前述のとおり、母語を指す言語を決定する際の基準には諸説ある。これについて、言語学者のSkutnabb-Kangas,T.(1981)は、母語を捉える際にこれまでに用いられてきた基準を次のようにまとめている。
origin 起源 |
the language one learnt first (the language in which on established one’s first lasting communication relationship) はじめて学んだ言語(自分の最初の言語コミュニケーション関係を確立したもの。) |
sociology |
competence 能力 |
the language one knows best 最もよく理解している言語 |
linguistics |
Function 機能 |
the language one use most 最もよく使用する言語 |
sociolinguistics 社会言語学 |
Attitudes 態度 |
the language one identifies with (internal identification) the language one is identified as a native speaker of by other people (external identification) 自身が帰属意識を持つ言語 他者からネイティブスピーカーと見られる言語 |
social psychology sociology |
Skutnabb-Kangas,T. (1981)p.18を参考に筆者作成、筆者訳
第二言語習得研究においては、チョムスキーの普遍文法(Universal Grammar)が大きな影響を与えてきた(山岡,1997)。普遍文法では、人間は生まれながらにして言語一般についての知識(言語機能)を持っているとする。それにより子どもは個別言語が使われる環境の中で数年のうちに無意識に使うことができる母語を習得するという(井上・原田・阿部,1999;中村・金子・菊池,1989)。つまり、普遍文法における母語は、国籍や人種、民族などは考慮しない。そのため、この理論に大きな影響を受けてきた第二言語習得研究における母語の定義にもアイデンティティといった基準は含まれず、上記で示した起源と能力が基準となると考えられる。第二言語としての日本語教育に関する文献においても、母語を「幼児が最初に習得する言語。母語話者は、語句の使い方や文の構成について直観的に正しいかどうか判断できる。」(高見澤など,2016;p.8)と説明している。
一方、幼少の頃に国や地域の移動し、いちばん初めに覚えた親の言語が社会的少数派言語となった場合、その言語の保持は難しく、最もよく理解できる言語、最もよく使用する言語とは言い難い。そのため、社会的少数派となった「親の母語を子に伝えるための教育支援」(中島,2017:p.2)を行う継承語教育においては、母語の定義を「はじめて覚えたことばで、今でも使えることば」(中島,2003;p.1)としている。
また、社会言語学の観点からは、「多言語社会のなかでは、「母」のことばがこどもの「母語」とならないこともあるし、こどものとき身につけた言語が、かならずしも大人になっても頻繁に使用する言語とはならないこともある」(イ,2009;p.214)という点や、母語に感情的な価値づけが付随しているという母語のイデオロギー性を指摘し、母語と第一言語が意図的に区別されることが述べられている(イ,2009;ましこ,2001)。
3.参考文献
イヨンスク(2009)『「ことば」という幻影―近代日本の言語イデオロギー』,明石書店.
井上和子・原田かづ子・阿部泰明(1999)『生成言語学入門』,大修館書店.
佐藤武義・前田富祺(編)(2014)『日本語大辞典』,朝倉書店.
高見澤孟・ハント蔭山裕子・池田悠子・伊藤博文・宇佐美まゆみ・西川寿美・加藤好崇『新・はじめての日本語教育Ⅰ[増補改訂版]日本語教育の基礎知識』,高見澤孟監修,アスク出版.
中島和子(2003)「JHLの枠組みと課題 -JSL/JFLとどう違うか」『母語・継承語・バイリンガル(MHB)教育研究会』プレ創刊号.pp.1-15.
中島和子(2017)「継承語ベースのマルチリテラシー教育 ―米国・カナダ・EUのこれまでの歩みと日本の現状―」『母語・継承語・バイリンガル(MHB)教育研究会』13.pp.1-32.
中村捷・金子義明・菊池朗『生成文法の基礎―原理とパラミターのアプローチ』
西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編(2009)『岩波国語辞典』第7版,岩波書店.
ましこひでのり『増補版イデオロギーとしての「日本」』,三元社.
山岡俊比古(1997)『第二言語習得研究〈新装改訂版〉』,桐原ユニ.
Skutnabb-Kangas, T.(1981). Bilingualism or not: the education of minorities. Clevedon, Avon: Multilingual Matters.
〈作成者:中森 真理子〉