日本語教育Wikipedia

早稲田大学大学院日本語教育研究科小林ミナ研究室に所属する大学院生,あるいは,担当授業の履修生が日本語教育に関する専門用語について調べた内容を記述するサイトです。教育活動の一環として行っているものですので,内容について不備不足がある場合がありますのでご注意ください。記事の内容の著作権は,各記事末尾に記載してある作成者にあります。

意味(いみ)(英 Meaning, 仏 sens , 独 Bedeutung , Sinn)

目次

1.広義的な「意味」

2.「意味」と「意義」の使い分け

3.発話における「意味」

4.コミュニケーションにおける意味

5.関連項目

6.参考文献

 

 

意味とは、

①物事が持っている価値・重要さ

②言語・作品・行為によって表される意図・目的

③記号・表現によって表される内容 

 

 

1.広義的な「意味」 

 神保(1922)により「音声と文字とを言語の外形と名付け、意味を言語の「内容」と名付ける」と述べられている。また、神保(1922)では「意味」と「意義」ははっきり分けられていないため、ここでの意味は広義的な「意味」として使われている。石黒(2016)に掲載した図1が示しているように、一つの言葉には三つの側面があると考えられる。それぞれ語形、対象と意味である。もし、「犬」を例とすると、「犬」の言葉と実物の犬の間は意味で結ばれている。そのため、言葉と指している対象との関係は直接ではないため、原図を少し変えてでは点線で結ばれている。

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2.「意味」と「意義」の使い分け

ドイツ語の中では、意味に関する言葉は「Sinn」と「Bedeutung」二つある。『言語学大辞典』(1996)では、意味は二つのはっきり違ったものを指すことがあると示されて、以下のように述べられている。

                

その一つは発せられた音声によって表された現実の、具体的な精神内容であり、これはそれぞれの現実の発話(パロール)にユニークなものである。…このような意味を、ドイツ語ではSinnという。

一方、意味にはもう一つの意味がある。それは、具体的な発話を形成する個々の語または形式(form)の持っている意味で、ドイツ語ではBedeutungと行って、上のSinnと区別する。

 

これらを区別するために、日本語ではSinnを「意味」といい、Bedeutungを「意義」という提案がなされた。Sinn(意味)はそれぞれのBedeutungによって喚起された観念と、それと連合した他の観念や、言語外の要件によって生じた観念などによって作り出されるものだから、Bedeutung(意義)の総和より成立するのではない。

 

 

3.発話における「意味」

 服部(1953)では、「文や単語(形式)の意味は、このように抽象的なものであるから、発話の具体的な「意味」と区別して、文の「意義」、単語の「意義素」と呼ぶこととする。」それに、服部(1968)では発話の意味について明確な定義をされた。「発話の「意味」すなわち【音声的側面に対する】意味的側面とは、発話者の直接経験のうち、彼がその発話によって表出しようとした面と定義する。」服部が提唱した用語とその定義、またそれについての意味的側面にあたる名称を表1にまとめた。

 

        表1   発話・文・単語の定義とその意味的側面

 
 

用語

定義

意味的側面

発話(utterance)

話をするという一続きの出来事である。

意味

文(sentence)

言語作品は一つあるいはそれ以上の「文」より成る。文はその末尾を示す音調型を持っており、文に該当する発話断片は音休止によって、その前後を限られるのが常である。

意義

単語(word)

最小の「自由形式(free form)」である。自由形式とは離して、すなわちその前後に音休止をおいて発音された発話断片に該当し得る形式をいう

意義素

 

 

 

4.コミュニケーションにおける「意味」

 コミュニケーションの中の意味とは何かについて、田中・深谷(1996)では「ここでの「意味」は、まず何よりも、それぞれの人によって意味づけされる意味、つまり《意味づけする者にとっての意味》である」と述べられている。

また、八代等(2009)では、「コミュニケーションの根本はバーンランドの言葉を借りれば、「意味の創造」であり、異文化コミュニケーションは類似点よりも相違点に特徴づけられる人々が共通の意味を形成するという、共同作業のプロセスであると言える。」のように述べた。つまり、コミュニケーションの中での意味は誰かから意味が生まれることではなく、共同作業で意味を完成させると言っている。田中・深谷(1996)の中では会話モデルを図2のように示されている。このような繰り返しで、コミュニケーションの中の意味が構築される。

 

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5.関連項目

 意義

意義素

意味変化

意味論

語彙

コミュニケーション

 

 

6.参考文献

 石黒圭(2016)『語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング』光文社新書

亀井等編(1996)『言語学大辞典 術語編』六巻 三省堂 

国広哲弥(1970)『意味の諸相』三省堂

藤武義・前田富祺編(2014)『日本語大辞典(上)』朝倉書店

神保格(1922)「意義のこと」『言語學概論』岩波書店 pp.60-69

田中茂範・深谷昌弘(1996)『コトバの〈意味づけ論〉』紀伊国屋書店

新村出編(2018)『広辞苑』第七版 岩波書店

服部四郎(1953)服部四郎「意味に関する一考察」『言語研究』二二・二三号 日本言語学会

服部四郎(1968)「意味の分析」『英語基礎語彙の研究』三省堂 pp.3-14

服部四郎(1968)「意味」『岩波講座哲学11言語』岩波書店 pp.292-338

服部四郎(1974)「意味素論における諸問題」『言語の科学』五号 東京言語研究所

森田良行(1996)『意味分析の方法』ひつじ書房

八代京子等(2009)『異文化トレーニング」』三修社

 

 

〈作成者: 謝 霄然〉

待遇表現

<辞書における「待遇」「表現」>

【待遇】

1.人をあしらいもてなすこと。

2.職場などでの地位・給与などの取扱い。

3.ある地位に準じた取り扱いを受ける格式。

広辞苑』第7版

 

【表現】

内面的・精神的・主体的な思想や感情などを、外向的・感情的形象として表すこと。また、この客観的・感情的そのもの、すなわち表情・身振り・動作・言語・作品など。

広辞苑』第7版

 

【待遇表現】

話題の人物に対する話し手の、尊敬・親愛・軽侮などの態度を表す言語表現。

広辞苑』第7版

 

 

<辞書における解釈と「待遇表現」の関連性>

菊地(1989)

 「「待遇表現」の「待遇」とは、「あの会社の待遇がいい」とか、会社の地位で「役員待遇」などというときの「待遇」とは基本的には同じで、簡単にいえば「扱い」という意味である。」

 

 

<「待遇表現」の体系>

日本語教育学会(2005)

待遇表現は、大きく2つに分かれる。1つは敬語と呼ばれるもので、話し手の敬意、丁寧な態度などを表現する。その対極には卑語と呼ばれるものがある。卑語は話題の人物なり、聞き手を馬鹿にしたり、ののしったりする表現である。

 

 

<「待遇表現」の定義>

待遇表現の定義をもっとも早く提示したのは,松下(1901) である。その一年前には,岡田(1900) において「待遇」の用語が用いられている。

松下(1901)

「ある事物に対する講話者の,尊卑の念を表はすもの」。

 

山崎(1963)

「話手が,ある特定の人について(対して,又は関して)表現する時,その人に関する諸種の条件を考慮して,その人にふさわしい言語上の待遇を与える。この配慮はその人に関する事物にも及ぶ。このような表現を「待遇表現」と呼ぶ」。

 

日本語教育学会(1982)

「話し手・書き手が、人間関係への心配りのもとで、話したり書いたりすること。また、その言語形式としての語句や文。人間関係への配慮のもとでの言語表現。」

 

菊地(1989)

「基本的には同じ意味のことを述べるのに、話題の人物/聞き手/場面などを顧慮し、それに応じて複数の表現を使い分けるとき、それらの表現を待遇表現という。」

 

蒲谷・坂本(1991)

「待遇表現とは、表現主体がある表現意図を、自分・相手・話題の人物相互間の関係、表現場の状況・雰囲気、表現形態等を考慮し、それらに応じた表現題材、表現内容、表現方法を用いて、表現する言語行為である。」

 

蒲谷、川口、坂本(1994)

待遇表現とは、次のようなプロセスを含む一連の「表現行為」である。

「自分」・「相手」「話題の人物」相互の「人間関係」を認識し、状況・雰囲気・文脈などの「場」を意識する。

「表現形態」(「音声表現形態」あるいは「文字表現形態」)を考慮する。

以上の制約に応じた「題材」・「内容」、適当な「言材」を選択し、「文話」(文章、談話)を構成し、「媒材」化(音声化あるいは文字化)する。

 

 

<「待遇表現」定義の変遷と研究対象の拡大>

上記のように、「待遇表現」という用語の定義は時代と研究者によって様々である。西尾(2003)は「「待遇」という用語・概念は100年以上前から存在しながら、その定着に非常に時間がかかった。待遇表現の定義は時間を経て多様さを増した。」と述べている。例えば、山崎(1963)、日本語教育学会(1982)は言語表現のみを待遇表現としているのに対し、蒲谷・坂本(1991)、蒲谷、川口、坂本(1994)は言語行為、表現行為も待遇表現としており、「待遇表現」の範囲を広く捉えている。

 

定義の多様化にともない、研究対象も拡大しつつある。分析対象とする言語の単位は狭義の待遇表現のレベルを超え、文や発話、さらに非言語行動にまで拡大した。また、言語使用時の意識や心理までもが研究対象となった(西尾,2003)。

 

 

<「待遇表現」の運用>

日本語教育学会(2005)

社会生活を営む上で人間関係は重要である。待遇表現は円滑な関係を保つための言語手段であり、生活の中でことばを交わす機会のある人に対する気配りとかかわると」いってもよい。社会生活の潤滑油とも言えるだろう。

例えば(親しい人に対して)

水をくれ/水をちょうだい。

 

(レストランの店員に対して)

水をください/水をもらえませんか。

 

(知らない人/目上の人)

水をいただけませんか/水をくださいませんか。

 

 

関連語

配慮表現

待遇行動

敬語

 

 

参考文献

 

岡田正美(1900)「待遇法」

蒲谷宏・坂本恵(1991)「待遇表現教育の構想」

蒲谷宏・川口義一・坂本恵(1994)「待遇表現研究の構想」

菊地康人(1989)「待遇表現―敬語を中心に―」

西尾純二(2003)「マイナス待遇表現の言語行動論的研究」

日本語教育学会(1982)『日本語教育事典』

日本語教育学会(2005)『新版日本語教育事典』

松下第三郎(1901)『改選標準日本文法』

山崎久之(1963)『国語待遇表現体系の研究―近世篇―』

 

 

〈作成者:リュウ

謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ(丁重語)

【定義】

1.謙譲語Ⅰ

自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて、その向かう先の人物を立てて述べるもの。(文化庁,2007)

自分側から話題の人物に向かう行為・ものごとなどについて、向かう先の人物を高く位置付けて述べるもの。自分側を高くしないことが前提となる。(近藤・小森,2012)

例えば「行く」という動詞であれば、「だれがだれのところに行く」の「だれ(が)」は高くしないで、「だれ(のところ)」を高くするときに用いる敬語である。「だれが」の「だれ」を高くしない、という性質に加えて、「だれのところに」「だれに対して」等の「だれ」(「敬語の指針」では「向かう先」)という用語を使っている)を高くするという性質を持つという点が重要である。(蒲谷,2009)

 

<該当語例>

 伺う、申し上げる、お目に掛かる、差し上げる、お届けする、お読みいただく…

 

<主な形式>

 (1)動詞の場合

 ①特定形

伺う、申し上げる、存じ上げる、差し上げる、いただく、拝~する(拝見する、拝読する、拝借するなど)… 

 例文:今日の14時に先生の研究室に伺います

 向かう先の人物:先生

 先生に向かう行為:研究室に訪ねる

②「お(ご)~する」

お届けする、お伝えする、ご報告する、ご案内する…

③「お(ご)いただく」(謙譲語Ⅰの機能に加え、向かう先の行為によって恩恵を受けることを表す)

お読みいただく、ご出席いただく… 

 

(2)名詞の場合

  先生へのお手紙、お客様へのご説明…

 

2.謙譲語Ⅱ(丁重語)

 自分側の行為・ものごとなどを、話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。(文化庁,2007)

自分側の行為・ものごとなどを、聞き手に対して丁重に述べるもの。聞きてに対して改まった述べ方をすることにより、丁重さをもたらす。聞き手に対して丁重に述べるという性格上、普通体では現れず、丁寧語の「ます」を伴って使われる。(近藤・小森,2012)

例えば「行く」という動詞であれば、「だれがだれのところに行く」の「だれ(が)」を高くしないで、表現の「相手」に対して改まって伝えるときに用いる敬語である。「私があなたのところに参る」が丁重語である。(蒲谷,2009)

 

<該当語例>

 参る、申す、いたす、おる、拙著、小社…

 

<主な形式>

(1)動詞の場合

 ①特定形

 参る、申す、いたす、おる、存じる…

 ②「~いたす」

 例:出発いたします、報告いたします

 

(2)名詞の場合

 拙著、愚作、小社、弊社、粗茶…

 

3.謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱ(丁重語)の違い

 例えば「伺う」が「だれ(のところ)」を高くするときに用いる敬語であるのに対し、「参る」はその性質がない。例えば、「私が弟の家に伺います」とは言えないが、「私が弟の家に参ります」とは言えることから、その違いが明らかになる。「弟」は高くする対象ではないので「伺う」は使えないが、「参る」は使うことができるのである。

また、謙譲語Ⅰは相手に対する敬語ではないが、謙譲語Ⅱは相手に対する敬語である。例えば、社員同士の会話で、「昨日部長のお宅に参ったよ。」とは言えない。これは、この例の場合、「伺う」が部長に対する敬語であるのに対して、「参る」が部長に対する敬語ではなく相手に対する敬語であることを示している。

さらに、謙譲語Ⅱには相手に対して改まって伝えるという性質があるが、謙譲語にはその性質がない。例えば、社員同士のくだけた会話で、「昨日部長のお宅に伺っちゃったよ。」とは言えるが、「昨日部長のお宅に参っちゃったよ。」とは言えない。(蒲谷,2009)

 

 

【敬語の3分類と5分類】

現在の小学校や中学校では、国語科の教科書に基づいて、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3分類、これに美化語を加えた4分類などの枠組みによって、敬語の種類や仕組みを学習・指導している。

それまでの分類に関する研究を踏まえて、「敬語の指針」では、敬語を尊敬語、謙譲語Ⅰ、謙譲語Ⅱ(丁重語)、丁寧語、美化語の5種類に区分することを提唱している。

謙譲語をⅠとⅡの2種類に区分するのは、これまでの学校教育等で行われた前述の3分類ないし4分類のうち、謙譲語と一括されてきた語群だけについて、それらの敬語としての性格をよりはっきりと理解するために必要な区分けをしたものである。

謙譲語をⅠとⅡの2種類に区分することで、「自分側から相手側または第三者に向かう行為・ものごとなどについて、そのうかう先を立てて述べるもの」と「自分側の行為・ものごとなどを、話や文章の相手に対して丁重に述べるもの」の違いをはっきりすることができ、敬語の働きと適切な使い方をより深く理解するために役立つ。(文化庁,2007)

これは、従来の敬語研究でも、宮地裕の「謙譲語と丁重語」、菊地康人の「謙譲語Aと謙譲語B」などと区分されていたものであり、細部については諸説あるものの、研究者間では普及していたものである。(蒲谷,2013)

  

敬語の分類(文化審議会 2007:13に基づく) 

5分類

3分類

尊敬語

「いらっしゃる・おっしゃる」型

素材敬語(話題の人物を高く位置づけるもの)

尊敬語

謙譲語Ⅰ

「伺う・申し上げる」型

謙譲語

謙譲語Ⅱ(丁重語)

「参る・申す」型

対者敬語(会話や文章の相手を立てて丁寧に述べるもの)

丁寧語

「です・ます」型

丁寧語

美化語

「お酒・お料理型」

 

 

 

【関連語】

 

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疑問点:

「今から先生の研究室に伺います。」

「今から先生の研究室に参ります。」

両方使えるが、5分類に従って教える際、それをどう学習者に説明すればよいのか?本来の3分類なら「伺う」も「参る」も謙譲語であることを説明することができるが、敬語としての性格をよりはっきりと理解させるために5分類で教えると、かえって複雑になって、分かりにくくなる可能性もあるではないだろうか?

 

日本語教育においては、外国人が日本語としての敬語をどの程度学べばよいのか?日常コミュニケーションをする目的で敬語を学ぶなら、必ず「敬語の性質」をはっきり把握してはいけないのか?教科書等に示す敬語表現を覚えても、それを実際の会話に生かして使うことは難しいといった指摘もあるため、敬語表現のみに注目するのではなく、どの場合にどのような敬語(すなわち敬語の文化的背景)を用いるべきかを指導することにも重点をおくべきだと考えている。例えば先生に推薦状の作成を依頼する場合にはどのような敬語を用いるべいかなど、敬語の文化的背景と敬語表現を結び付けて指導するほうが、単なる「敬語の性質」による敬語の分類と各分類の表現を指導するより学習者にとって理解しやすいのではないかと考えている。 

 

 

参考文献

蒲谷宏(2009)『敬語使い方辞典』新日本法規

蒲谷宏(2013)『待遇コミュニケーション論』大修館書店

蒲谷宏・川口義一・坂本恵(1998)『敬語表現』大修館書店

近藤安月子・小森和子(2012)『研究社日本語教育事典』研究社

辻村敏樹(1988)「敬語分類の問題点をめぐって」『国文学研究』94 早稲田大学国文学会

文化庁(2007)「敬語の指針」文化審議会答申

 

 

〈作成者:シ ショウレイ〉

QOL −クオリティ オブ ライフ−

クオリティ オブ ライフ(: quality of life、以下QOL)とは

 

目次

 一般的な定義

質とは(マズローとロートンから)

 医学における量と質

 教育学における量と質

 学習内容の量と質

 学習という行為の量と質

概念の広がり

 医学からのアプローチ

 地理学からのアプローチ

 教育学からのアプローチ

測定の試み

 幸福尺度

 尺度

関連項目

参考文献

 

 

一般的な定義

 国際保健機関(World Health Organization:WHO)

1947 年、その健康憲章の中で,健康を「...not merely the absence of disease, but physical, psychological and social well-being」、すなわち、「...単に疾病がないということではなく、完全に身体的・心理的および社会的に満足のいく状態 にあること」と定義。

さらに、1998 年には、「spirituality」を健康を定義する概念の中に加えることを提案した。Spirituality を日本語に翻訳するのはなかなか難しいが、宗教的、霊的、実存的などと訳されている。

(土井由利子(2004)『特集:保健医療分野における QOL 研究の現状』「抄録 総論-QOL の概念とQOL 研究の重要性」J. Natl. Inst. Public Health, 53(3) )

 

  • QOLとは=統一された解釈はない。(『東大がつくった高齢者の教科書長寿時代の人生設計と社会創造』東京大学恒例社会総合研究機構(編著)2017)
  • 生命維持の過程から、自己実現、生きがいといった高次の心理的活動を含む多様な活動の束(森岡清美ほか1993)
  • 人生」または「生活の質」と訳す》広義には、恵まれた環境で仕事や生活を楽しむ豊かな人生をいう。狭義には、特に医療福祉分野で、延命治療のみにかたよらずに、患者の生活を向上させることで、患者の人間性主体性を取り戻そうという考え方QOL。(2018/12/20参照『デジタル大辞泉』「見出し語:QOL」)
  • 人々の生活を物質的な面から数量的にのみとらえるのではなく、精神的な豊かさや満足度も含めて、質的にとらえる考え方。医療や福祉の分野で重視されている。生活の質。人生の質。生命の質。 QOL 。(2018/12/20参照『大辞林 第三版』「見出し語:QOL」)

 

 

QOL概念化の試み

 □マズロー(Maslow)の欲求段階説QOLはひとの欲求がどの程度みたされているかということであるとも考えられます。通常は、第1段階の生理的欲求が満たされると第2

段階の欲求が生じます。どの段階まで、どの程度、欲求が充足されているかということとQOLは近似の概念であると考えることもできます。

 

参考:マズローの5段階欲求

第一段階:生理的欲求(生きる上で根元的欲求)

第二段階:安全欲求(生きる上で根元的欲求)

第三段階:親和の欲求(他者と関わりたい、同じようにしたいなどの集団帰属欲求)

第四段階:自我欲求(集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求)

第五段階:(自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求)

 

□ロートン(Lawton,1983)の多次元モデル:QOL構成要素の具体的視点として高齢者のQOLモデル(グッドライフの4セクター)が有名である。

QOLを個人—環境と主観的評価—客観的評価という2つの次元を組み合わせで、1)行動能力 2)心理的幸福感 3)主観的な生活の質 4)客観的な生活の質 の4つの領域に分けて概念化している。

(『東大がつくった高齢者の教科書長寿時代の人生設計と社会創造』東京大学恒例社会総合研究機構(編著)2017)より

 

 

QOLの概念の広がり

 1960年代までの医学的リハビリテーションや福祉では、ADLが意味する、歩行、摂食、衣服の着脱、洗面、入浴、排便といった日常生活における身辺動作の回復や介助という点のみが目指されてきた。(中谷茂一 ,2007)

  

 【医学からのアプローチ】

QOL(health-related QOL:HRQL)

/健康と直接関連のあり:身体的 状態,心理的状態,社会的状態,霊的状態,役割機能や全体的 well-being などが含まれる(土井由利子2004)

 

QOL(non-health related QOL:NHRQL)

/健康と直接関連のなし:環境や経済や 政治など,QOL のうちで人の健康に間接的に影響するが, 治療などの医学的介入により直接影響を受けない部分(土井由利子2004)

1.personal-internal(人-内的):価値観・信条, 望み・目標,人格,対処能力

2.personal-social(人-社会的):ソーシャル・ネットワーク, 家族構成,ソーシャル・グループ,経済状態,就業状態

3.external-natural environment(外的-自然 環境):空気,水,土地,気候,地理

4.external-social environment(外的-社会環境).文化施設・機会,宗教施設・ 機会,学校,商業施設・機会,医療施設・サービス,行政・ 政策,安全,交通・通信,社会的娯楽施設,地域の気質・人 口構成,ビジネス施設などが含まれる。

 

【地理学からのアプローチ】

「近接性を考慮したQOLの評価」(藤目 節夫1997) 

 

 

QOLの評価/尺度研究

 健康関連 QOLは、効用値などを測定する選考に基づく尺度と、健康を多次元的に測定するプロファイル型尺度に大きく分類される(池上・福原・下妻ら, 2001)

 

□世界保健機構 (World Health Organization ; WHO) /WHOQOL26

QOLを「個人が生活する文化や価値観の中で、目標や期待、基準および関心にかかわる自分自身の人生の状況についての認識」と定義。

●疾病の有無を判定するのではなく、受検者の主観的幸福感、生活の質を測定する。

●身体的領域、心理的領域、社会的関係、環境領域の4領域のQOLを問う24項目と、 QOL全体を問う2項目の、全26項目から構成される。

●4つの領域とは

  • 身体的領域

  日常生活動作/医薬品と医療への依存/活力と疲労/移動能力/痛みと不快/睡眠と休養/仕事の能力

  ボディ・イメージ/否定的感情/肯定的感情/自己評価/精神性・宗教・信念/思考・学習・記憶・集中力

  • 社会的関係

  人間関係/社会的支え/性的活動

  • 環境領域

  金銭関係/自由・安全と治安/健康と社会的ケア:利用のしやすさと質/居住環境/新しい情報・技術の獲得の機会/余暇活動への参加と機会/生活圏の環境/交通手段

(2019/02/03参照 http://www.kanekoshobo.co.jp/book/b183683.html 株式会社 金子書房「日本語版WHO QOL26」書籍紹介文)

 

□EuroQol(EQ・5D):選考に基づく尺度

「社会的機能、精神的機能、身体的機能、障害Jの4領域。

 

□MOS36-Item Short-Form Health Survey (SF・36):プロファイル型尺度

「身体機能、心の健康、日常役割機能(身体)、日常役割機能(精神)、体の痛み、全体的健康感、活力、社会生活機能Jの 8領域。

 

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出典;(韓, 昌完2017)「琉球大学教育学部紀要」(90):pp.157−162

 

心理学などの分野から、幸福度を測定する尺度開発と、その検証への挑戦が試みられてきている。

 

 

関連項目

 Well-being:

人々の望ましい存在のあり方を示している。社会的価値。平等、社会関係資本まで、

射程(Jordan, 2008)

 

welfare:

福祉(経済学的には、厚生):well(良い、満足のいく)とfare(やっていく)の合成語

(三重野卓2013)「応用社会学研究」№ 55. 175

 

欲求の変化

「世界的に幸福感が注目されている。これは、経済成長、および物的な充実が限界に達したことを意味している。競技の幸福感は、happinessを表し、広義の幸福感は、それとともに「生活の質」に関係するwell-beingを含む。(三重野 卓,2013)

 

生涯学習とは「自己の充実や生活のこうじょうのために、人生の各段階での課題や必要に応じて、あらゆる場所、時間、方法により学習者が自発的に行う自由で広範な学習」を意味する。趣味や教養を身につけるといった自己完結的な学習とは違う。」

(『東大がつくった高齢者の教科書長寿時代の人生設計と社会創造』2017)

 

以上のように、社会環境の充足や、人生経験を積んだ世代の増加などの条件により、幸福感をもたらすコトやモノの変化をみることができる。それは、従来の医学的な系譜という枠だけでなく、広義に人生の質を考えると、(表1)に示される「領域2」への欲求の充足は今後ますます重要になると考えられる。人生の質のための学習のあり方についての研究の盛り上がりが期待される。

 

以上をまとめると、以下のことが言える。

QOLとは、「心理的には自己肯定感をもち、社会的には帰属による安心感があり、自己を成長させながら創造的で満足のいく状態である。」

したがって、日本語教育学では、学習動機に以上の条件を満たす学習者を「QOLの概念によった学習者」と定義できる。

 

 

参考文献

 韓, 昌完(2017)「琉球大学教育学部紀要」(90):pp.157−162

土井由利子(2004)『特集:保健医療分野における QOL 研究の現状』「抄録 総論-QOL の概念とQOL 研究の重要性」J. Natl. Inst. Public Health, 53(3) 

『東大がつくった高齢者の教科書長寿時代の人生設計と社会創造』東京大学恒例社会総合研究機構(編著)2017

三重野 卓(2013)「「生活の質」の概念の再構築へ向けてーその現代的意義ー」『応用社会学研究』(55):175

中谷茂一(2013)『ウエルビーイング』 

林 日出夫「英語学習の「楽しさ」「重要性」「実行」についての学習者間比較—動機づけの視点からー」『Language Education and Technology』pp.191-212

東 洋(2012)「幸福感尺度の概念的妥当化― 唐澤論文へのコメント―」『Japanese Psychological Review』(55.1)pp.152 -155

 

 

〈作成者:さゆる〉 

オノマトペ

オノマトペ〔フランス語onomatopée、英語onomatopoeia〕は、擬音語・擬態語を意味する外来語である。

 

 

目次

  1. オノマトペの分類
  2. オノマトペの定義
  3. オノマトペの英訳と類義語

 

 

1.オノマトペの分類

擬音語・擬態語はそれぞれ、外界の音を写した言葉である「擬声語、擬音語」と、音をたてないものを音によって象徴的に表す言葉である「擬態語、擬情語、擬容語」に分けられる(図1)。オノマトペを、擬音語(擬声語と擬音語)と擬態語(擬情語と非擬情語)に分ける立場もある(図2)。

 

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 図1 金田一(1978)1による分類

 

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 図2 筧・田守(1993)2による分類

 

 

2.オノマトペの定義

小型国語辞典での定義は、〔擬声語・擬音語・擬態語〕、〔擬声語・擬態語〕、〔擬声語〕、または〔擬音語〕と揺れている(図3)。また、擬音語・擬態語の総称として「擬聲語(擬声語)」3を使用する研究もあり、この場合は、擬聲語とオノマトペが同義となる。

 

 

定義

所載の辞典

出版社(発行年)

1

擬声(ぎせい)語・擬音語・擬態語。フランスonomatopée

例解新国語辞典 第七版

三省堂(2007)

2

〈フonomatopée〉 擬声語・擬態語

新選国語辞典 第六版

小学館(1987)

3

(フランスonomatopée)擬声語および擬態語

現代国語例解辞典 第五版

小学館(2016)

4

〈フランスonomatopée〉①擬声語。擬音語。②擬声語と擬態語の総称

集英社 国語辞典 第二版

集英社(2000)

5

〔フonomatopée〕 擬声(ギセイ)語。擬音(ギオン)語

三省堂国語辞典 第六版

三省堂(2008)

6

擬声語と擬音語。フランスonomatopée

学研現代新国語辞典 改訂第六版

学研プラス(2017)

7

フ onomatopée 擬声語

現代国語表記辞典 第二版

三省堂(1992)

8

【onomatopéeフランス】擬音語に同じ。オノマトペア

広辞苑第七版

岩波書店(2018)

図3 小型国語辞典におけるオノマトペの定義

 

 

3.オノマトペの英訳と類義語

オノマトペは、「擬音語・擬態語の総称」として用いられることが多いが、「擬音語」または「擬声語」と定義づける国語辞典もある(図3)。これは、フランス語のonomatopée、英語のonomatopoeiaが音に関する語として、生物や事物から生じる声や音を表す擬声語、または擬音語に直訳されるためである。英語では模倣、擬態を表すmimicを用いて、日本語の擬態語にあたる語を”mimic words, mimetic words”という。

狭義のオノマトペはonomatopoeiaと対応し、オノマトピア、オノマトペアとも呼ばれるが、広義のオノマトペは、擬音語・擬態語と対応し、英語では”onomatopoeia and mimic words”と訳される(図4)。さらに擬音語・擬声語・擬態語・写生詞・オノマトペ(onomatopoeia)などと呼ばれる語類の総称として「音象徴語」を用いる場合もある4

以上のように、擬音語、擬態語などの語が意味する範囲には揺れがあり、その揺れはオノマトペが意味する範囲の揺れに反映されている。

 

f:id:minakob-lab:20190218230415p:plain 図4 オノマトペの狭義と広義の類義語

 

 

関連語

 オノマトピア、オノマトペア、onomatopoeia、onomatopée、擬声語、擬音語、擬態語、擬情語、擬容語、音象徴語

 

 

参考文献

1)筧壽雄・田守育啓(1993)『オノマトピア 擬音・擬態語の楽園』勁草書房,東京

2)浅野鶴子・金田一晴彦(1978)『擬音語・擬態語辞典』角川書店,東京

3)大坪併治(1989)『擬声語の研究』明治書院,東京

4)日本語教育学会(2005)『新版日本語教育事典』大修館書店,東京

 

 

〈作成者:N.F.〉

教育学 における「関係性」

【定義】

関係性  かんけいせい / relationship

➙一般用語としての定義

『実用日本語表現辞典』

 関係しているということ。または、関係している度合い。単に「関係」と換言可能な場合も多い。

➙教育学的定義

・川久保2013164  

関係性とは、本来的に冗長(Redundant)なものである。その冗長さゆえ、関係性はこじれた場面、思い通りにいかない場面でしか前景化しない。関わる、面倒をみるといった事実確認的(Constative)な水準では意識されず、「関ずらう」場面、「面倒くさい」場面において行為遂行的(Performative)にしか立ち現れない。

平たく言えば、「関わる」ということは、ものごとの特定の状態についての説明ではなく、現実に行っている様の表現であって、さまざまとした行為が伴わなければ、それは「関わる」とは言えないということである。

 

➚解説

・『医療人類学辞典』

事実確認的発話は、その真偽において評価される。一方、行為遂行的発話は、その適切か不適切ということが評価基準となる。

 

 

【関連語】

教育学における「関係」 

[定義]

関係 かんけい

➙一般用語としての定義

広辞苑

あることと他のことが、互いにかかわりあっていること。また、そのかかわり合い。Relation

あることが他のことに影響すること。また、その影響。Influence

2つ以上のものの間柄。つながり。Connection

➙教育学的定義

・川久保2013164  

関係とは、事実確認的な水準で意識され、想定されており、予定調和的な仕方で成り立っているものである。

 

[見出し語との関係]

・川久保2013164

事実確認的な水準で意識される関係(Relation)が、とりたてて関係性(Relationship)というほどのものではない。

関係

関係性

事実確認的

冗長

想定されていて、予定調和的な仕方で成り立っている

こじれた場面、思い通りにいかない場面で前景化し、行為遂行的に立ち現れる

 

➚解説

・川久保2013167

関係性が冗長なのは、たんにそこでの関心が相手の存在に向けられているからである。冗長さが生起するのは、相手が思い通りには行かない相手であるゆえに、関わらないわけにはいかないからである。

「思い通りにいくこと」を前提にした世界観は、「目的」に価値を置くアリストテリス的な世界観である。万物の合目的性を謳うアリストテリス的世界においては、すべての物事は、その在るべき状態(エネルゲイア)の実現に向けた準備状態(デュナミス)にある。例えば、種は成木に向けた、成木は建築材に向けた、建築材は建築物に向けた可能態としてある。したがって、事実確認的な関係が関係性というほどではないのは、そこでの関係が、目的を達成するための関係によることが判明する。正解に言えば、この水準での関係は、何らかの目的がなければ結ばれない。しかも、「目的」もまた一貫して事実確認的であるため、そこでは決して関係が冗長になることはない。事実に向けて一直線に突き進む「目的」には、こじれたり、からまったりなどの行為遂行にかかる停滞は、想定されていない。

 

[見出し語との文の違い]

現代日本語書き言葉均衡コーパス 少納言

①検索条件

 検索文字列:関係性(検索結果3件)・関係(検索結果242件)

 前文脈:友達

 メディア/ジャンル:書籍、雑誌、新聞、白書、教科書、広報紙、Yahoo!知恵袋、Yahoo!ブログ、韻文、法律、国会会議録

 期間:2000年代(2000~2008)

前文脈

検索文字列

後文脈

ものに言及した者が多かったのに対し、就学後は、「友達だから」というような相手との

関係性

に言及した者が多かった。これは、就学前は他場面の行動がパーソナリティ特性から生じ

仲のいい友達同士なのに、このような現象は何を意味するのではないでしょうか。これでは、友達

関係

が作れないのではないかとこちらが心配してしまします。さらに、放課後の部活などでも

 

②検索条件

 検索文字列:関係性(検索結果2件)・関係(検索結果355件)

 前文脈:親子

 メディア/ジャンル:書籍、雑誌、新聞、白書、教科書、広報紙、Yahoo!知恵袋、Yahoo!ブログ、韻文、法律、国会会議録

 期間:2000年代(2000~2008)

前文脈

検索文字列

後文脈

a)     に言葉にするのは難しい程ですね。10.ヨイトマケの唄美輪明宏親子、恋人、友達。

b)     偏食や小食も、食材や調理法だけの問題ではなく、親子関係の結果でもあり、また新たな

関係性

a)     はなんでもいいんですけど、相手は見ていないところで、どれだけ大事な人のために―所

b)     の源にもなりことを確信しました。そうして、「食と心理」を結びつけた視点から記事を

が、子どもに向かうとき、児童虐待につながってしまうことも多々ある。あるいは、親子

関係

のみならず、夫との関係、家族との関係、本来助けあうべき近隣の母親たちとの関係にも

 

③検索条件

 検索文字列:関係性(検索結果2件)・関係(検索結果109件)

 前文脈:教師

 メディア/ジャンル:書籍、雑誌、新聞、白書、教科書、広報紙、Yahoo!知恵袋、Yahoo!ブログ、韻文、法律、国会会議録

 期間:2000年代(2000~2008)

前文脈

検索文字列

後文脈

典型的な父親と典型的な子ども、あるいは典型的な大学教師と典型的な学生などの間の

関係性

を描くことにあった。そして、分析の後半では、人類学者はある社会の構造形体と別の社

っても、「学習指導要領」に反する決定をすることはできません。粉川― 教師と生徒の

関係

が作れないのではないかとこちらが心においては単純に多数決の考えを持ってこられると非常に困りますね。現実にはあり得な

 

 

【教育への示唆】

・川上2011167

ことばの学びと関係性とが関係する。学習者はその学びの過程で、自らの周りにいる多様な他者と日本語で関係性を築くことになる。その過程で、学習者は日本語を使うたびに他者からの反応を得て、反応を得ることによってさらに日本語を習得していく。そのような日本語によるやりとりを通じて他者との関係性が変化していく。その変化に応じて、学習者にとっての複数言語との向き合い方が変化する。

・筆者の考え

なぜ「関係を築く」のではなく、「関係性を築く」のか、そして、なぜ「関係が変化していく」のではなく、「関係性が変化していく」のか。

川久保の議論により、「関係性」はものごとの特定の状態についての説明ではなく、さまざまな行為が伴う動態的なものではないだろうか。一方、「思い通りにいくこと」を前提としたら、「目的」に価値を置かないといけない。それを達成するために、いろいろな「関係」が成り立っている。また、動態的な「関係性」に対して、「目的」が先にくる「関係」は静態的だとは言えるだろう。

また、[「関係性」と「関係」との文の違い]から見ると(特に下線部)、学習者と周りにいる多様な他者との「関係」は友達同士でも、親子でも、教師と学生でも、そういう事実は簡単に変わらない。一方、他者とのかかわり合いによって、こじれたり、からまったりするうちに、既定されている「関係」での「関係性」は変化していくのではないかと考えられる。

 

 

【参考文献】

 新村出編(1998)『広辞苑岩波書店

川上郁雄(2011)「「移動する子どもたち」のアイデンティティの課題をどう捉えるか」『「移動する子どもたち」のこどばの教育学』くろしお出版 PP.167-168

川久保学(2013)『関係性の教育倫理:教育哲学的考察』東信堂 PP.164-168

医療人類学辞典http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000606nichi.html閲覧日2019年1月10日

現代日本語書き言葉均衡コーパスhttp://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_form閲覧日2019年2月2日

実用日本語表現辞典http://www.practical-japanese.com/閲覧日2019年1月10日

 

 

〈作成者:徐 格逸〉

 

BICS(Basic Interpersonal Communicative Skills)

日本語訳

日常生活における対人コミュニケーション能力

 

 

定義

日常生活の中で、他者とコミュニケーションをとるために必要な言語能力。

 

 

説明

BICSが必要とされるのは、高コンテクストで、対人的・パラ言語的手がかり(ジェスチャーや表情、イントネーションなど)が得られるような言語活動である。このような言語活動には、高度な認知活動がほとんど必要とされない。BICSが言語発達の比較的早い段階で発達する能力であるのには、このことが関係していると考えられる。日本語では、「生活言語能力」(『日本語教育能力検定試験 50音順 用語集』)、「基本的対人伝達能力」(太田垣 1997)、「生活言語能力」・「日常言語能力」(『日本語教育能力検定試験に合格するための用語集』)などとされる。

 

 

背景

Skutnabb-KangasとToukomaaは1976年、スウェーデン在住のフィンランド語を第一言語とする移民の子どもたちに関して、“表面的には流暢に第二言語を操っていても、教科学習に関してはそれが学年/年齢相当のレベルにまで達していない”という現象が認められると発表した。

 

その後、この現象について、カナダ在住の英語を第二言語とする移民の子どもたちを対象とした研究が盛んに行われた。その中で、上記の子どもたちの言語習得に関するデータ(トロント教育委員会が公開)が分析された結果、第二言語に関して、会話の流暢さはおよそ2年で学年相当のレベルに到達するのに対し、学習に関連する言語能力が学年相当のレベルに達するまでには、平均して5~7年かかるという結果が得られた。

 

この差を説明すべく、Cumminsが編み出し、1979年の論文で最初に使用した概念的区分が、BICSとCALPである。Cumminsは、教育者がこの2つの言語能力を十分に識別していないことが、バイリンガルの子どもたちの学習面における困難につながっていると指摘した上で、これらの言語能力の違いに配慮した研究がなされるべきであると主張した。

 

BICS/CALPという用語が、いつ頃日本語教育の分野においても用いられるようになったかは定かではないが、それがバイリンガルの子どもの第二言語習得に関連するものであるということをふまえると、年少者に対する日本語教育という研究領域が確立された以降のことだと考えられる。川上(2006)によると、「1990年代以降、JSLの子どもに関する日本語教育の研究は、さまざまに行われてきた」という。従って、BICS/CALPという用語が日本語教育の中で使用されるようになったのは、1990年代のことであると推定される。

 

 

関連する議論

Cummins(2000)では、以下のようなBICS/CALPへの批判・誤解が紹介され、それぞれにCumminsが反論を行っている。(英文はCummins(2000)より引用。日本語部分は、筆者が同著を翻訳しまとめたものである)。

 

①.. the distinction was criticized on the grounds that a simple dichotomy does not account for many dimensions of language use and competence, for example, certain sociolinguistic aspects of language (e.g.Wald,1984). However, the distinction was not proposed as an overall theory of language but as a conceptual distinction addressed to specific issues concerning the education of second language leaners. ... The fact that the distinction does not attempt to address all aspects of sociolinguistics or discourse styles or any number of other linguistic issues is irrelevant. (2000:73)

BICS/CALPという単純な二分法では、言語使用や言語能力の多くの範囲(例えば特定の社会言語学的側面)を説明することができない(Wald(1984)ほか)

⇒BICSとCALPという区別は、言語に関する全てを説明する理論としてではなく、第二言語学習者の言語発達に焦点をあてた概念的区分として提案されたものである。ゆえに、“BICSとCALPという区別が、言語の社会的側面の全てや会話のスタイル、その他多くの言語学的問題に焦点をあてようとしていない”という見解は見当違いである。

 

②Another point concerns the sequence of acquisition between BICS and CALP. August and Hakuta (1997), for example, suggest that the distinction specifies that BICS must precede CALP in development. This is not at all the case. The sequential nature of BICS/CALP acquisition was suggested as typical in the specific situation of immigrant children learning a second language. It was not suggested as an absolute order that applies in every, or even a majority of situations. Thus attainment of high levels of L2 CALP can precede attainment of fluent L2 BICS in certain situations (e.g. a scientist who can read a language for research purposes but who can’t speak it).

BICSとCALPという区別において、BICSは必ずCALPに先行して発達するということが規定されている(August&Hakuta(1997))

⇒全ての場合において〈BICS→CALP〉という順序で発達するというわけではない。BICSとCALPの、それらの習得において両者が連続して起こるという性質は、第二言語を学ぶ移民の子供たちのBICSとCALPの習得について考えたときの典型として示されたものであり、全てのシチュエーションにおける絶対的順序として示されたものではない。ゆえに、第二言語において、BICSよりも先にCALPが高いレベルに到達することもありうる(例:ある言語を、研究のために読んで理解することはできても話すことはできない科学者)。

 

③ Another misunderstanding is to interpret the distinction as dimensions of language that are autonomous or independent of their contexts of acquisition (e.g. Romaine, 1989: 240). To say that BICS and CALP are conceptually distinct is not the same as saying that they are separate or acquired in different ways. Developmentally they are not necessarily separate; all children acquire their initial conceptual foundation (knowledge of the world) largely through conversational interactions in the home. Both BICS and CALP are shaped by their contexts of acquisition and use. ... BICS and CALP both develop within a matrix of interaction. However, they follow different developmental patterns: phonological skills in our native language and our basic fluency reach a plateau in the first six or so years; in other words, the rate of subsequent development is very much reduced in comparison to previous development. This is not the case for literacy-related knowledge such as range of vocabulary which continues to develop at least throughout our schooling and usually throughout our lifetimes.

BICSとCALPは互いに独立した文脈において習得されるものである(Romaine(1989)ほか)

⇒BICSとCALPが「概念的に別個のものである」ということは、それらが「分離したものである」もしくは「異なる方法で習得されるものである」ということと同義ではない。BICSとCALPはいずれも、その習得と使用によって形づくられるものであり、また、いずれも社会的相互作用の中で発達するものである。しかしながら、このふたつは発達のパターンが異なる。BICSの発達は、生まれてから6年ほどで停滞し、その後の発達速度は極めて遅くなる。しかしCALPは、生涯を通して(少なくとも学校教育の全過程を通して)発達し続けるものである。

 

④An additional misconception is that the distinction characterizes CALP(academic language) as a ‘superior’ form of language proficiency to BICS(conversational language). This interpretation was never intended and was explicitly repudiated (Cummins, 1983), although it is easy to see how the use of the term ‘basic’ in BICS might appear to devalue conversational language as compared to the apparent higher status of cognitive academic language proficiency. Clearly, various form of conversational language performance are highly complex and sophisticated both linguistically and cognitively. However, these forms of language performance are not necessarily strongly related to the linguistic demands of schooling. As outlined above, access to very specific oral and written registers of language are required to continue to progress academically and a major goal of schooling for all students is to expand student’s access to these academic registers of language. However, the greater relevance of academic language proficiency for success in school, as compared to conversational proficiency, does not mean that it is intrinsically superior in any way.

 BICSとCALPという区別において、CALPはBICSよりも「優れた」言語能力であるとみなされている

 ⇒BICSという用語に‘basic’という語が使われていることによって、BICSがCALPよりも劣っているかのように安易に思われがちであるが、そのようなことは全く意図しておらず、上記のような解釈に関してはCummins(1983)においてはっきりと否定している。「学校で良い成績をとるということに関しては、BICSよりもCALPのほうがより関連が深い」ということは事実だが、それは「CALPがどのような場面においても本質的に優れている」ということを意味するのではない。

 

⑤Some investigators have also claimed that by ‘the mid 1980s the dichotomy between CALP and BICS was largely abandoned by Cummins, although it has not ceased to influence subsequent research on second language acquisition and bilingual education’ (Devlin, 1997:82). This is inaccurate. I have tended to use the terms conversational and academic proficiency in place of BICS and CALP because the acronyms were considered misleading by some commentators (e.g. Spolsky, 1984) and were being misinterpreted by others (e.g. Romaine, 1989). However, the acronyms continue to be widely used in the field and from my perspective are still appropriate to use.

第二言語習得やバイリンガル教育に関する研究に影響を与え続けてはいるものの、BICSとCALPという二分法は、1980年代中頃までに、その提唱者であるCummins自身によってほぼ否定された(Devlin(1997)ほか)

⇒この主張は誤りである。Spolsky(1984)などにより、それらの用語が誤解を招きやすいものであると指摘されたことや、実際にRomaine(1989)などによって誤解をされたことを受けて、BICSの代わりに‘conversational proficiency’という用語を、CALPの代わりに‘academic proficiency’という用語を用いる傾向は確かにある。しかしながら、BICS/CALPという用語は第二言語習得やバイリンガル教育の分野で広く使用され続けているものであり、今もなお適切であると考える。

 

 

参考文献

川上郁雄(2006)『「移動する子どもたち」と日本語教育―日本語を母語としない子どもへのことばの教育を考える―』 明石書店

本林響子(2006)「カミンズ理論の基本概念とその後の展開―Cummins(2000) “Language, power, and pedagogy” を中心に―」『言語文化と日本語教育』第31号,pp.23-28.

August, D. and Hakuta, K.(eds). (1997) Improving Schooling for Language-Minority Children: A Research Agenda. National Research Council, Institute of Medicine, National Academy Press.

Cummins, J (1979) Cognitive/academic language proficiency, linguistic interdependence, the optimum age question and some other matters. Working Papers on Bilingualism 19,121-29.

Cummins, J (2000) Language, power, and pedagogy: bilingual children in the crossfire, Clevedon: Multilingual Matters.

Devlin, B (1997) Links between first and second language instruction in Northern Territory bilingual programs: Evolving policies, theories and practice. In P. McKay, A. Davies, B. Devlin, J. Clayton, R. Oliver and S. Zammit (eds) The Bilingual Interface Project Report (pp.75-90). Canberra City: Commonwealth of Australia.

Romaine, S. (1989) Bilingualism. Oxford. Oxford University Press.

Spolsky, B. (1984) A note on the dangers of terminology innovation. In C. Rivera (ed.) Language Proficiency and Academic Achievement (pp.41-43). Clevedon: Multilingual Matters.

Wald, B. (1984) A sociolinguistic perspective on Cummins’ current framework for relating language proficiency to academic achievement. In C.Rivera (ed.) Language Proficiency and Academic Achievement (pp.55-70). Clevedon: Multilingual Matters

 

 

〈作成者:菅野莉子〉